© 奈須きのこ/講談社・アニプレックス・ノーツ・ufotable


第一章「俯瞰風景」/2007年12月1日(土)〜28日(金)

第二章「殺人考察(前)」/2007年12月29日(土)〜2008年1月25日(金)

第三章「痛覚残留」/2008年1月26日(土)〜2月22日(金)

テアトル新宿にてレイトショー公開
http://www.karanokyoukai.com

「とらだよ。」公開直前2号連続インタビュー
Web版 【 前編 】

【前編】【後編】
さてインタビューの予習に、奈須先生ご執筆のドラマCD『ALL AROUND TYPE MOON』を聞かせていただいて参りましたので、今日は両儀式がどれだけ"ヤンデレ"なのか。時間の9割をその質問について語っていただくスタンスでいきましょう(笑)
ちょうどドラマCD収録の前に"ヤンデレ"という台詞があって、声優さんに「"ヤンデレ"って何ですか?」って聞かれたことがあったんです。「"ヤンデレ"って共通認識じゃないの!?」と驚きました(笑)。「"ヤンデレ"っていうのは、ちょっと心が・・・・・・病んでいるけれど(一同:爆笑)、特定の人物に恋心を抱くことでギリギリ境界に踏みとどまってる、危ういバランスの娘ですよ」と必死に説明はしたものの、「ん? それってストーカーじゃね?」と返されまして(笑)。 「いや、ストーカーじゃないんだよ! ピュアでハートフルな、もっとおぞましい何かなんだよ!!」と禅問答のような会話が続いたことがあって。"ヤンデレ"とは言葉に出来ないものなのだなぁと(笑)。

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そんな個性的な表現で語られるヒロイン両儀式ですが、このキャラクターの原点的なイメージはどういったものでしたか?
現在からすると少し病的なイメージがある、古い日本の名家の奥座敷に居るお嬢様ですね。それを暗い和と捉えてハイカラな西洋のイメージと融合させる、和洋折衷なキャラクターを作りたいというのがありました。多分な嘘を含むと思うんですが、ビジュアル的に着物に編み上げブーツは和と洋のいいバランスだな、というイメージから、さらに進んで着物に革ジャンはどうだろう、と迷い無く進みました。閉鎖された世界で育ったお嬢様が、着物の上に革ジャンを纏う事によって外の町並みになじむことが出来るという流れで考えていたんですが、やっぱり根の部分でどこか病んでいる子なので、外には出るけど頑なに周りを拒んでいるような雰囲気が残る。そんな辺りが"ヤンデレ"っぽい所なのかなと思っているんですけれどね。
そんな特殊なお嬢様に付加される"ヤン(病ん)"だ部分はどういった点にあたるのでしょうか?
式の異常性、それは完全に"作られたものだ"ということにあると思います。非人間的な環境で作りあげられた人間が、やはり人でありたいと思う所に摩擦が生まれ、折り合いが付かなくなってしまっている。それが殺人衝動であったり、二重人格を内包する所であったりすると思います。

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強いキャラクター付けで構築されている両儀式という存在に対し、もう一人のナビゲーターである黒桐幹也の存在は平凡な一般人として映りますが、このキャラクターの存在には物語を通してどういった意味合いがありますか?
"主人公がカッコいい=僕が嬉しい"という投影的な欲求は、全て式が持っていると思うんです。黒桐はそういう主人公を近くで見ている一般人なんで、見ている側として読者とシンクロする存在である。それにプラスして、『空の境界』というのは、両儀式というある種異常な子を救いたいというコンセプトが一番初めにあったんです。そのために時代に即した"普通" のキャラクターをその近くに置きたいというのを意識していました。ただ「"普通"であることって実は一番難しいよね」というのもあるので、『空の境界』で一番異常なのは黒桐だと思います。劇的なシーンや表現はないんですが、そういうとりえの無い"普通"の人間が、重要な意味合いを持って作品内にいるということを、感じて欲しいなと思います。
"普通"の、いわゆる一般人である黒桐が、式の傍にいるのはどんな理由だったのでしょうか?
もともと式は凄く傷だらけの子なんです。でも立ち振る舞いが凛としているのでその傷が外に見えない、見えづらいんですね。そのあたりが周りからすると拒絶的に見える。ただ黒桐からするとその姿はひどく痛ましいものに映った。周りも気づいていないし助けてやれないならば、自分が何とかしてあげたい。そんな保護欲から始まっているんだと思います。一人の人間が救えるのは一人だけだとするなら、黒桐幹也が選んだのは両儀式だったと。

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その説明を伺うと、一般人として共感するところも多い存在ですね。この二人の関係はある意味王道なのかもしれませんね。
なんだかんだとベストカップルに見えたらいいですね。仲いいなあ君たち、みたいな(笑)
その個性に加えて、両儀式を語るのに欠かせない要素"直死の魔眼"ですが、このイメージの原点はどんなところから生まれたのでしょうか?
やっぱり僕はゲーム世代だったりするんで、AをBが、BをCが上回る能力があるというインフレを続けるサイクルの中で、そのサイクルすら断ち切る能力、これを言われたら負けだろうという物を自分なりに考えてみたんでしょう。その時にデジタルに数値化されたものを一切0にする概念、某有名ソフトで言うところの"毒針"のように、どれだけHPや防御力が高くても、条件さえ揃えば一気にカウントを0にして、問答無用で死を与える能力が一番強いんじゃないか、そんな屁理屈の言い合いから生まれたんですよ(笑)。ゲーム世代的な発想から生まれた能力だと思っています。そこに色々なディテールが付与されて今に至っています。

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ゲーム世代の最たる年齢層に多大なファンをお持ちでおられると思いますが、奈須先生の独自の伝奇観からすると、『空の境界』という作品は、後の『月姫』・『Fate』へとどのような位置づけで繋がっているんでしょうか?
『空の境界』を書くまでは、普通というか素直な伝奇を書いていたので、僕にとって大きな転機になった作品でした。20歳前後だった当事、一度小説の限界を感じて「伝奇物だったら漫画・映像作品の方が表現として適しているのではないか」と情熱を失っていた頃に、新本格ミステリの『十角館の殺人(著:綾辻行人)』を読んで、テキストにしか出来ない楽しみがあると思い知らされたんです。そうして書いたのが一番初めの『魔法使いの夜』でした。それでもまだ自分のやりたいことが見えていなかった時期に、武内くんが「くすぶってるならホームページで連載してみてよ」と勧めてくれて。そうして始めた『空の境界』を書けば書くほど自分でもモヤモヤしていた部分が形になっていった。完結したときは大きな充実感があったし、奈須きのこはこの芸風でやっていけばいいんだ、という自信にもなりました。ただ、その後に続く『月姫』・『Fate』はゲームですから、主人公Aが主人公Bを観察するというシステムは許されない。主人公=プレイヤーとして、ゲームをプレイすることによって何らかの感情の動き、面白さ、悲しさ、楽しさ、辛さをダイレクトに感じられるものでなくてはいけないので、ゲームとしては自己投影型の主人公。小説のときは物事に対する傍観者としての主人公という、若干ですがエンターテイメント性を落とした形での表現が暗黙の了解になっているのかと思います。
今何気なくおっしゃられた『魔法使いの夜』のお話は、原典『Fate』と同じくらいTYPE-MOONを知る人間にとっては、何時か手に触れられる形にと期待するタイトルだと思う のですが。過去にその存在が語られ、噂でしか伝わっていない伝説の本ということで、もはや文献なんですよ。
実はTYPE-MOONの会議室にヒッソリ置いてあったりするんですけれどね(笑)

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『月姫』・『Fate』、そして最新作の『DDD』など後の作品から振り返ると、『空の境界』は切りつけるような荒々しい表現、時に破滅的な表現すら描かれている印象がありますが、今約10年という時を振り返られて、どのような思いで書いてこられたかを伺えますか?
まだ世に名前を残していない時のあらゆる創作者は思想・在り方が攻撃的なんだと思います。僕もその例に漏れずに切りつける事でインパクトを、そして感動を与えようという気持ちが第一にありました。昔どこかで話したかもしれませんが、切りつけることってラクなんですよ。一番わかりやすい印象の与え方で、切れ味も良いし読者も一発で傷を負う。でも一番わかりやすい表現方法であるがゆえに治り易くて後に続かないものになってしまうことが多い。『空の境界』を作り上げた後の作品を書くにあたって、切りつけるだけではない表現もできればいい、と考えを改めまして。それは押し包むような文章表現であったり、読後ふと作品を思い出して「ああ、あの作品はあんな話だったんだな」と振り返っていただけるような表現へと、少しずつ変わっていってくれればいいと思っています。 作家としての変化・成長がそこにあるのですね。 そうかもしれません。世に自分が何者か示していない若い頃はとにかく切りつけて存在を表明する。僕にとって『空の境界』はそれだったのかなと思います。ただ今の僕がたまに『空の境界』を読み直して感じるのは、恥ずかしいという気持ちの反面、この"がむしゃらさ"は今の自分にはないなと感じますね。
作家としての変化・成長がそこにあるのですね。
そうかもしれません。世に自分が何者か示していない若い頃はとにかく切りつけて存在を表明する。僕にとって『空の境界』はそれだったのかなと思います。ただ今の僕がたまに『空の境界』を読み直して感じるのは、恥ずかしいという気持ちの反面、この"がむしゃらさ"は今の自分にはないなと感じますね。
何をおっしゃいますか、『DDD』も充分"がむしゃら"ですよ!!
いやいや。「随分と奈須きのこもヌルくなったな!」と思いますよ(笑)。当時の自分だったらこんな優しい表現は使わないなとか思いますから。やっぱり『空の境界』を書いていた頃、物書きを志しているからには自分の作品への愛もあるし、自負もある。とにかくそれを知って欲しい、というか「知りやがれこの野郎!!」というような気持ちで書いていたと思うんです(笑)。一言で言うと"尖がっている"んでしょうね。そしてその"尖がり"が収まると、歪な岩が少しずつ丸くなってゆくように、少しずつ人間は丸くなっていくんでしょう。そうなってくるといいなぁとずっと思っているんです。切り込み隊長は、若者だけに許される花形ですから。

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そんな"尖った"中でも、"死"に対するドライさが、全編を通して大きく描かれる要素であると思いますが、奈須先生がこの作品で捉える"死"とはどのようなものですか?
あらゆるカウントを0にするという、概念的な"死"を扱うという段階で、生きものとしての有機的なものより、デジタル的な"死"を捉えようと考えました。死は人生の末にあるものではなく、平等かつ理不尽な、全てに共通するカタチだろうと。ゼロになれば、どんな生き物だろうとゼロですからね。ただ、もともとの高校の頃に浮かんだ『空の境界』の基礎、殺人鬼が主人公で考えようという所から始めた時に、これを書いている自分は気持ちいいけれど読まされる読者はたまったものじゃないなと思っていました。殺人鬼が主人公という時点で道徳的にも問題があるし、果たしてこれに意味があるのか?という迷いの中で眠っていたお話だったんです。それからしばらくして笠井潔先生の『哲学者の密室』で"死"の概念に触れた作品に出会って衝撃を受けたんですよ。その時に思ったのが、殺人鬼をエンタテインメントにすることはやはり間違っているけれど、一つの概念を作ってそれを物語にすることは意義のあることではないか? 今の自分なら、あの頃の殺人鬼を主人公とした物語を描けるのではないか? デジタルでありながらウェットな話にできるかもしれないと。そう思って書きはじめたんです。きっと10代のころの自分が書いたならば、『空の境界』の中に黒桐幹也はいなかったでしょう。あくまで式だけの物語、殺人鬼だけの物語だった。それが『哲学者の密室』という衝撃に出会って、ラウ"・ロマンスな(巻き舌) ストーリーに変わっていったんだと思います(笑)。
ここで一つ方向を変えまして、黒桐鮮花というキャラクターについて伺ってみたいのですが、これこそ後々連なるツンデレ妹(遠野秋葉・石杖火鉈)の原点というか、軽く踏み外しぎみ(空の境界 下巻 第6章 P198参照)というか(笑)
空の境界の鮮花があまりにもただの登場人物の一人にすぎなかったので、秋葉に関してはこのキャラクターをメインにした話を書きたいという気持ちがあったんです。『月姫』を作るときに武内くんが、「まず記号から入ろう、それがギャルゲーの法則だ!!」とか言い始めて、「さすがだ! オレには出ない発想だ!!」と(笑) アルクェイドは決まっていたので、それ以外のキャラを考えていて、「ゲームには先輩とか後輩とかいるんじゃね?」、「妹キャラも必要だよね」と話が膨らんでいった時に、「妹キャラならば鮮花をやりたい。でもそのまま鮮花だと問題があるから、鮮花の系統樹のキャラクターを作りたい」とワガママを言いました。秋葉は完全ではないのですが、鮮花のリベンジなんですよ。ただ火鉈に関しては、"妹もの"というジャンルを奈須きのこ個人としてやり尽くした感があるので、抑えきれない溢れる思いから生まれたわけではなく(笑)、お話の構成上存在するキャラクターですね。 実は『DDD』を最初に書くときにメモみたいな所に走り書きをしていて、「格好つけるな」って書いていたんです。『空の境界』や『DDD』が出版されて、こういったインタビューを受けさせていただける立場になって、やっぱりどこか人の目を気にしている自分がいるなと思った時に書いたんだと思うんですが、それを見て、「どうせ妹出すんなら趣味全開でいいんじゃないか?」と思ったのはありました。(笑)

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ありがとうございます。そこまで素を出して頂いている奈須先生に、一度きりの真剣な質問をさせていただきます。妹属性はありますか?(笑)
無いわけ無いじゃないですか!!!(笑) もうね、ヤンデレって言ったら「そもそも兄に恋する妹ってのはヤンデレなんだよ」と思うぐらいに(笑)、 ヤンギレ&ヤンデレが台頭してきて、ついに望んでいた時代が来た! 待ってみるモンですね。もう本当にね、ついに訪れた妹新世代!!というような・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下リピート。


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